幸せの感じ方
昨日の日経新聞のコラム欄(紙面TOPの「春秋」)が、well-beingについて取り上げていました。
「『ウェルビーイング』(心身の健康や幸福)という経営用語もしばしば耳にする。幸福な社員は生産性が高いのだとか。欧米には『CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)』なる役職もあるそうだ。幸せの達成度は『科学』で測れるという。耳には心地よいが幸せの感じ方は人それぞれ。こちらはできれば遠慮願いたい。」とのこと。
全文は上記リンク先からご覧になって頂きたいのですが、内容的には、「幸せ」や「well-being」という言葉が、色々な場面で使われていることに関して、著者が好ましくない印象を持っているようでした。この記事について、私なりにコメントをしたいと思います。
(1)well-beingの認知度
まず、「ウェルビーイング」という「経営用語」をしばしば耳にするというのは、経済メディアのコラムニストであれば、当然といえば当然ですが、特に東海圏では認知度が低いというのが私の印象です。
先日、労働基準監督署と一緒に名古屋市で実施したセミナーでは、30名位の参加者がいらっしゃいましたが、「ウェルビーイング」という言葉を聞いたことがある方は、1名のみでした。
また、人事関連のon-lineセミナーを受講した際に、メガベンチャー企業の創業社長が、「well-beingという概念は、流行しただけではなく、既に定着した」と仰ったように、東京では特に説明する必要もないのかもしれませんが、まだまだ地方では啓蒙していく必要性があると感じます。
(2)幸せの感じ方
「幸せの感じ方は人それぞれ」という点に対しては、仰る通り、究極的には人によりけりですね。
他方で、多くの人に共通している要素があることもわかっています。従業員サーベイの一つである、「はたらく幸せ診断、不幸せ診断」(パーソル総研+慶應前野研究室)も、大多数に共通する幸せの要素を見える化するためのサーベイとなっています。
特に会社など、数多くの多様な社員のウェルビーイングの向上方法を検討する際には、①人それぞれである固有の要素、及び、②大多数の人に共通する要素に分けて考えたほうがいいと思います。
なお、蛇足ですが、社会学者の宮台真司氏は、幸福は「人それぞれ」であるという議論を「悪しき社会主義的構築主義、あるいは、構築主義的発想」であるとし、「今日ではゲノム研究とか、分子遺伝学とか、認知行動学とか、進化生物学、それから派生する進化心理学の展開で、そういう雑な議論が許されないことがわかっている。」と仰っています。興味のある方は、こちらをご覧ください。